大東亜戦争60周年記念

 最近、戦後60年の節目の年ということで特集番組が放映されている。最近、回天出身の人の話を聞いた。みなさんは回天をご存知だろうか?

 友人に回天の話を振ったところ、(゜Д゜) ハア?回転???なにそれという解答が返ってきた。回天というのは、魚雷の中に乗員1名のコックピットを儲け操縦できるようにした兵器です。隊員が魚雷に乗り込み、操縦して敵艦に誘導し命中させる。もともと青年仕官が考案した兵器で、回天採用運動を行ったり時には、血書をもって嘆願したが、生還の見込みがない兵器故、軍部が認めてくれるものではなかった。しかし19年頃に入ると、戦局の悪化、我が艦艇の損耗も甚大、ようやく回天の開発、試作が許可された。

↑回天発射場

 出身者によると、当時の日本の戦局が悪くなってるのは火を見るように明らかで、本土決戦も噂される、東京大空襲、原爆投下、毎日何百人もの人が死んでいる状況。自分には何ができるのだろうか?自分も何か役にたちたいと考えるようになり、そんなとき回天の話がまわってきたそうです。

 新兵器の乗組員を募集しています。ただし命の保障は一切できない。その兵器については具体的な事は話せないが、2ヶ月程の訓練で、出撃できる。志願したいものは、用紙に二重丸、迷っているひとは丸、このまま飛行機乗りになるのも良し、志願の意思が無いものは白紙で出してくれ。

 これならば自分にもできるんじゃないか?少しは役に立てるのではないか?と思い迷わず志願したそうです。勘違いして欲しくないのは靖国に祀られたい、お国のためにという考えは全く無く、敵兵が上陸してくれば、多くの日本人が殺される。それだけは食い止めなければならない。そのために自分が少しでも役に立てば・・・・。みんなそんな心境だったと思います。とのこと。

 志願して回転隊に入ったものの、全国からすごい数の志願者が集まっていたそうです。志願者に対して回天の数が少ないため、練習も十分にできない。一人20時間程度の運転で、適正を判断され、適正が無いと判断された人はどんどん外されていったそうです。教えてくれる人もいなく、とにかく人の操縦を見て真似ることから始めたそうです。夜はみんな集まって意見を出し合い討論研究、朝は3時頃に起きて回天発射場へ向かったそうです。
 
 死について考えることは全く無く、いかに回天をうまく操縦できるか、いかにして回天の性能を生かすか、そのためにはどうすればいいか?そんなことで頭がいっぱいで、死は全く気にならなかったそうです。しかしそれまで気にならなかった死も、出撃のときに自分が乗り込む爆弾を積んだ回天を目の前にすると、気が重くったそうです。


この時代の人って字が(・∀・)キレイ。文章もませてるし。回天ではないですが、修学旅行で知覧へ行ったときに、隊員の遺書を見ますた。思わず感動して泣いてしまいましたよ。

 今年は大東亜戦争終結60周年の節目ということでテレビでもいろいろと特集が放送されていると思います。改めて平和について考えてみるいい機会かもしれませんな。すべての英霊たちに(人-)謝謝(-人)謝謝。我々もこういったことがあったという事実を知り、感謝すると共に、日本の危機が再び来ないとも云えないのですから、そういった過去のことを糧にしておく必要があると思います。

 いやー、この時代の写真や資料を見てみると、当時の若者って元気ですね。いかにも若者って感じが・・・・。σ(゜∀゜ オレ!! は無気力ですが Σ(´Д`lll)。その時代の人は今になっても健在。当時の体験も笑い話のように語るし。その元気を少しでも分けてもらいたいものです。

最後に特別攻撃隊の遺書を
http://homepage1.nifty.com/usaki2/kamikaze/tinkon.html
感動しますた。